2021年8月16日月曜日

一乗の徳を嘆ず

 自力聖道門は先ず高山を照らし、後に幽谷に及ぶのであるが、本願一乗は高山・幽谷一時に春陽の恵みに浴す。
 ここに修行の久近を問うことなく、善人悪人の隔てなく、造罪の多少を問わず、本願力によりて名号の大海に入る。

 和讃に曰く
 「本願円頓一乗は
  逆悪摂すと信知して
  煩悩菩提体無二と
  すみやかにとくさとらしむ」
と。
 本願一乗の味わいは、御文の「なんの不足ありてか諸行諸善にこころをとどむべきや」とのたまえる味わいである。

 本願一乗は絶対門である、一切の佛法は本願一乗より他なきものである。
 本願一乗の春陽は平等一色である。これ一法身のすがたである。これを「尽十方無碍光如来」と申し上げる。


 浄土の荘厳は如来の光明の変現である。如来悲智の示現である。
 咲き匂う梅の花を見るにつけ、浄土の三厳を憶う。憶念のうちに無量劫の罪を滅す。

 これにて知るべし、浄土はそれ自体「大功徳聚(だいくどくじゅ)」である。和讃に曰く
 「本願功徳聚を帰命せよ」
と。佛土まことに不思議である。

 転悪成善の徳は名号の徳である。
 華天密禅の大乗は是心即佛、即身成佛等の法を説けども、なおかつ断悪証理の法である。
 「不断煩悩得涅槃」の一法、いかに法然上人のこころを引きつけたことであろう。
 また高祖聖人の、自力を捨てて本願に帰したまいしもこれがためである。
 佛願力によりて易く往生する。

稲垣瑞劔師「法雷」第32号(1979年8月発行)

3 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

佛願力によりて易く往生する。
とありますが、

易行であり、これ以上に易しいものはありませんが、
難信であるのです。

土見誠輝 さんのコメント...

つまり信ずることは難しい。
極難信の法であります。

光瑞寺 さんのコメント...

まことに極難信の法です。ゆえに先人たちが口を酸っぱくして、自力の執心を離れよと誡めてくださいます。

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

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