御開山が好きなものが好きになり、きらいなものがきらいになるように、だんだん御開山に似させてもらうことが出来るのは、真宗である。ようまあ、御開山様は、凡夫の我らに近く、下がって来てくだされたことじゃ。
御開山の好きなのは、「金剛心」というお言葉と、「無碍の光明」というお言葉であった。そのほか「帰命」といったり、「一心」といったり、「本願力」といったり、皆お好きであった。
「金剛心」というのは弥勒菩薩の位をいうのであるが、「信心の行者は横超の金剛心を究むるによって、今度の生には真に佛に成れる」というて、御開山様はおよろこびになられた。
御開山様のおきらいなのは、邪見憍慢の人であった。きらいというよりも、一層深く、可哀想に思って、お憐れみくだされた。ご互いに深く反省すべきである。
稲垣瑞劔師「法雷」第65号(1982年5月発行)
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「金剛心」というのは弥勒菩薩の位をいうのであるが、「信心の行者は横超の金剛心を究むるによって、今度の生には真に佛に成れる」というて、御開山様はおよろこびになられた。
とありますので、
「金剛心」の註釈を引用
①等覚の菩薩(菩薩の最高位)の智慧の境地をいう。等覚の菩薩の智慧は煩悩を断じ、また、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから、金剛に喩える。
②阿弥陀仏の本願を信じる心をいう。如来回向の信心は、その体が仏智であって、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから、金剛に喩える。
「如来回向の信心はその体佛智」えらいことを仰います。まっすぐこの胸に佛様の射し込んで下さっている。
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