2022年10月15日土曜日

金剛心

 御開山が好きなものが好きになり、きらいなものがきらいになるように、だんだん御開山に似させてもらうことが出来るのは、真宗である。ようまあ、御開山様は、凡夫の我らに近く、下がって来てくだされたことじゃ。
 御開山の好きなのは、「金剛心」というお言葉と、「無碍の光明」というお言葉であった。そのほか「帰命」といったり、「一心」といったり、「本願力」といったり、皆お好きであった。
 「金剛心」というのは弥勒菩薩の位をいうのであるが、「信心の行者は横超の金剛心を究むるによって、今度の生には真に佛に成れる」というて、御開山様はおよろこびになられた。
 御開山様のおきらいなのは、邪見憍慢の人であった。きらいというよりも、一層深く、可哀想に思って、お憐れみくだされた。ご互いに深く反省すべきである。

稲垣瑞劔師「法雷」第65号(1982年5月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「金剛心」というのは弥勒菩薩の位をいうのであるが、「信心の行者は横超の金剛心を究むるによって、今度の生には真に佛に成れる」というて、御開山様はおよろこびになられた。

とありますので、

「金剛心」の註釈を引用
①等覚の菩薩(菩薩の最高位)の智慧の境地をいう。等覚の菩薩の智慧は煩悩を断じ、また、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから、金剛に喩える。
②阿弥陀仏の本願を信じる心をいう。如来回向の信心は、その体が仏智であって、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから、金剛に喩える。

光瑞寺 さんのコメント...

「如来回向の信心はその体佛智」えらいことを仰います。まっすぐこの胸に佛様の射し込んで下さっている。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...