2023年4月15日土曜日

安心のしどころ

 煩悩の雲霧のうちから、善導大師や法然様や、親鸞聖人のおすがたが、にゅうと現れてくださって、そのお言葉が煩悩の雲霧を破って朝日の東天に昇るがごとくに、消しても消しても出て下さる。ああ、佛語というものは尊いものである。ただただ佛語・佛教・佛願が現れてくださるので、ありがたい。私の心の依りどころ、安心のしどころ、往生の礎である。

 如来様、お釈迦様、また祖師聖人の「御和讃」のお言葉、あれがなかったら、いくら説教を聞いても、説教をしても、埒が明かなかったであろうに、お聖教のお言葉があり、お言葉の裏には、尊い人格が光ってござるで、頭が下がる。お言葉の前に頭が下がる。お言葉のうちに安心させていただく。これ以外に私の信心も安心もない。もう私は九十歳の赤児である。親と親の言葉が私のいのちである。

  法のため ささげしいのち 法のため
   なおささげよと 古稀の春をば

 とかく若いうちは学問をし、説教をし、議論もし、批評もし、色々とやるものであるが、なかなか赤児になって、「和讃」の一句が如来の金言、いや、諸佛如来と拝めぬものや。それでいくら説教をしても、いくら説教を聞いてもあかん。如来と如来のお言葉以外に、信心も安心の依りどころもない。

 いくらおろかなものでも、「和讃」の一首や二首は憶えられる。憶えて、そのわけを聞かせていただいたならば、それが我がいのち、これより他に我が往生はない、と肚を決めて、かたじけなく、ありがたくいただかぬと勿体ない。

稲垣瑞劔師「法雷」第71号(1982年11月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

法のため ささげしいのち
とありますが、

阿弥陀仏 我らとともにまします
阿弥陀仏 我らとともにましまして 我をたのめと よびたもうなり
我がために 身をすてられし みほとけの ご恩受く身を 世にささげたし

光瑞寺 さんのコメント...

ああこれは有り難いお歌です。南無阿弥陀佛。
詠み手についてまたお聞かせいただければと思います。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...