一、法界の真理と諸佛如来の智慧は、弥陀一佛に集まっておる。一切の善は六時の嘉号に摂まっておる。阿弥陀様はありがたい。
二、私をよんでくださる勅命は、大智大悲の親の生の声である。「よびごえ」のうちに私の助かるいわれがある。阿弥陀様はありがたい。
三、絶望と、苦しみのどん底にも歓喜と希望が光っておる。阿弥陀様はありがたい。
四、早や生死の大海を超断して、光明裡の生活に入っておる。阿弥陀様はありがたい。
五、本願は喩えば太虚空の如し。無辺の妙功徳を具しておる。願力不思議の前には、善も要にあらず、悪もおそれなし。お浄土参りには何の支度も準備もいらぬ。「ただ」の「ただ」である。自分の信心と如来のお助けと取引勘定をするのではない。阿弥陀様はありがたい。
六、如来はすなわち真実功徳相であり、誓願の尊号またこれ真実功徳相である。阿弥陀様はありがたい。
七、一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得る。阿弥陀様はありがたい。
八、如来様は私が罪業深重、散乱放逸の凡夫たることを深信せしめたまい、驕慢の鎧を摧(くだ)きたもう。阿弥陀様はありがたい。
九、迷信の魔軍を退け、疑いの雲霧を散じ、信心の智慧を回施したもう。阿弥陀様はありがたい。
十、生死の苦海より私を救い出し、涅槃常楽の大希望を抱かせてくださる。阿弥陀様はありがたい。
稲垣瑞劔師「法雷」第73号(1983年1月発行)
4 件のコメント:
長らくお六字をバラバラにして何の意味があるのかと思っていましたが、何の事はない、「よびごえのうちに私の助かるいわれがある」だけのことでした。
私をよんでくださる勅命は、大智大悲の親の生の声である。
とありますが、
帰命は 本願招喚の 勅命なり
と、法雷カレンダー2011年4月でお聞かせいただいております。
「よんでくださることが 願力不思議の 御回向である」
「御回向は 信心のすがたとなして 六字たまわる」
いずれも『法雷句集』より
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