2023年7月10日月曜日

歓喜讃慶㈢

 二十一、受け難き人身を受け、聞き難き佛法を聞かせてもらった。閉眼絶息の夕べ、願土に到れば速やかに大般涅槃を超証し、大悲の翼に乗って法界に遊ぶ。希望が躍っておる。阿弥陀様はありがたい。

二十二、無碍の光明は衆生一切の無明を破し、衆生一切の志願を満たしめたもう。親鸞聖人にめぐりあい、人生の大事ここに畢(おわ)ったことをよろこぶ。阿弥陀様はありがたい。

二十三、信心は如来の正覚の功徳力に外ならない。信心も往生も六字の外にはない、勅命の外にはない。阿弥陀様はありがたい。

二十四、「南無というは帰命なり」「帰命は本願招喚の勅命なり」と。喚んでくださることが如来の廻向である。阿弥陀様はありがたい。

二十五、「ただ念佛して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」と。阿弥陀様はありがたい。

二十六、一切善悪の凡夫人、生を得るものは皆阿弥陀如来の大願業力に乗じて往生するのである。阿弥陀様はありがたい。

二十七、「其の名号を聞いて信心歓喜し、乃至一念せん、至心に回向せしめたまへり。彼の国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せん」と。阿弥陀様はありがたい。

二十八、「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
     功徳の宝海みちみちて  煩悩の濁水へだてなし」
と。阿弥陀様はありがたい。

二十九、信の一念は口にも筆にも言われぬ妙風光である。ただ佛心が凡心に映ってくださったのである。阿弥陀様はありがたい。

三十、常に阿弥陀様を憶念させていただくのが一番幸せである。生死の大怖畏を離れた大満足心がある。阿弥陀様はありがたい。

稲垣瑞劔師「法雷」第73号(1983年1月発行)

4 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「其の名号を聞いて信心歓喜し、乃至一念せん、至心に回向せしめたまへり。彼の国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住せん」
とあります。

『無量寿経』には、
諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転。
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。心を至し回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得て不退転に住す。」
と教えていただいております。

土見誠輝 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
土見誠輝 さんのコメント...

「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生まれんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。」
こちらは、『浄土真宗聖典』より引用させていただきました。

光瑞寺 さんのコメント...

同じく昔のメモ書きに、

如来は一切衆生に「お前の親はここにおるぞ」ということを聞かしめ、信ぜしめ、知ろしめ、たのもしく思わせて往生せしめねばおかぬ、という本願を建てられた。すなわち「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」である

とあります。大智大悲の御本願かたじけなし。願力回向の信心たのもし。

死の解決㈢

 世の人は「救い」「救い」と言っておるが、「救い」とは何であるか、殆どすべての人が「救い」を知らない。死を宣告された人から見ると、五欲街道の修理は「救い」でない。  真の救いは、救う人と同じ境地に到達してこそ「救われた」と言えるのである。あるいは、救う人の境地に必ず行けるという大...