2023年7月15日土曜日

先徳法語

先ず懺悔から

 浄土が西方に実在せるや否やを論ずるよりも、親鸞聖人と一味の安心ありや否やを反省すべきである。欲生に心相ありや否やを論ずるよりも、「広大難思の慶心」ありや否やを考うべきである。真理運動の可否を論ずるよりも「香光荘厳」とは何ぞや、を問うべきである。

 本願寺から破門せられた人たちが、本願寺には親鸞聖人はましまさぬ、と田舎の彼岸参りの御同行に呼びかけたというが、これ以上の暴言はない。聖人は、我等がごとき罪業の心に影現(ようげん)したもう。

 むかし善光寺の講中が、俗僧を追い出して持戒堅固なる道心の清僧を迎えんとしたことがあった。その時、善光寺の如来の霊告に、

「五十鈴川 清き流れは さもあればあれ 我れは濁れる 水に宿らん」

とあった。この霊告を蒙った講中の人たちは、回心して俗僧を追い出すことを止めたということである。
 我れも人も、終日人の是非のみを罵りおうて、自己の懺悔は忘れている。
 「先ず懺悔から」・・・・・ 自ら記して誡めと為す。


法雷院釋利劔師は、法雷第三祖にして、護城院釋瑞劔師の先生であります。衣鉢を法雷第二祖 謙敬院釋隆英師より承けられ、その学轍 - 初祖 光明坊断鎧師に創まる法雷学派 - の研鑽とその興隆に生涯を捧げられた真宗の碩学であります。利劔師の数ある著述の中、『教行信証大系』全七巻は、利劔師が畢生の心血をそそがれた最大の遺稿であり、戦中、せっかく公刊を企画されながら遂にその実現を見ずして御往生(昭和20年4月25日)されましたのを、瑞劔師がその御遺志を継がれ、幾多の困難を克服して世に出された不朽の名著であります。今日の法雷会の隆昌発展は、この利劔師の御尽粋と、それを継承し、更に研鑽に次ぐ研鑽と、その弘宣に身命を捧げられた瑞劔師との両師の賜であります。大恩まことに謝しがたきものがあります。

稲垣瑞劔師「法雷」第73号(1983年1月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

法雷轍の五祖宗師

1、光明坊断鎧(1808-1869)
2、瓜生津隆英(1820-1903)
3、桂利劔(1872-1944)
4、稲垣瑞劔(1885-1981)
5、野瀨瑞黙(1924-2011)

とありましたが、この後はどのようになるのか。

光瑞寺 さんのコメント...

野瀬先生まで挙げているデータが、どこかにあるのですね。どなたが書いておられるのか、気になります。

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