自分の生死の苦をのがれて、その上佛に成ろうと強く志願したとき、自分の胸の暗さがわかる。底知れず暗いことが分かる。どうにもこうにもならぬ暗さであり、みにくさであり、あさましさである。それを見つめたとき罪に泣く。
ところで、罪に泣けるものでもない。それほどのあさましさである。ここに大悲本願の光明が涙のうちに照りかがやいて下さる。そのたのもしさ、うれしさは、また格別である。別に天におどるほどのよろこびではないが、何となく生死の荷物を下ろした安心安堵の静けさである。勿体ないことだ。
稲垣瑞劔師「法雷」第79号(1983年7月発行)
2 件のコメント:
「罪に泣く。」、「罪に泣けるものでもない。」
とありますが、
一見、どちらが本当かと思うところです。
信前と信後であり、「それほどのあさましさである。」
と泣かされる。
どうにもこうにならぬものを抱えている身であるのに、嘆くべきも嘆かず平気でいるのですね。先人の言葉にようやく気づかされるばかりです。
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