2023年12月5日火曜日

罪に泣けるものでない

 自分の生死の苦をのがれて、その上佛に成ろうと強く志願したとき、自分の胸の暗さがわかる。底知れず暗いことが分かる。どうにもこうにもならぬ暗さであり、みにくさであり、あさましさである。それを見つめたとき罪に泣く。
 ところで、罪に泣けるものでもない。それほどのあさましさである。ここに大悲本願の光明が涙のうちに照りかがやいて下さる。そのたのもしさ、うれしさは、また格別である。別に天におどるほどのよろこびではないが、何となく生死の荷物を下ろした安心安堵の静けさである。勿体ないことだ。

稲垣瑞劔師「法雷」第79号(1983年7月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「罪に泣く。」、「罪に泣けるものでもない。」
とありますが、

一見、どちらが本当かと思うところです。
信前と信後であり、「それほどのあさましさである。」
と泣かされる。

光瑞寺 さんのコメント...

どうにもこうにならぬものを抱えている身であるのに、嘆くべきも嘆かず平気でいるのですね。先人の言葉にようやく気づかされるばかりです。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...