人間の心は一升瓶のようなものである。立派な酒が入っておるかと思ったら、悪業煩悩の泥水ばかりである。
その一升瓶の中に、また如来様の真実心の清水が入ってくる。一升瓶の中に二升入っても瓶は壊れもせずにある。そこが不思議である。それは佛智の不思議、無碍の光明というものである。善導大師は、
「衆生貪瞋煩悩の中に、能く清浄の願往生心を生ず」
と申された。煩悩が邪魔になるわけでなし、同居というわけでもなし。入るところがなくて入ってきて下さるのが無碍の佛智である。他力の信水である。
こうなってくると、どこを眺めても参れそうもない私が参らせていただくことを、ただ「不思議、不思議」と、本願力を仰ぐのみである。
稲垣瑞劔師「法雷」第81号(1983年9月発行)
2 件のコメント:
善導大師が「二河譬」に「衆生貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」とお説きになられました。
親鸞聖人は、
衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむる。
と、本願力によって生じる「如来回向の願往生心」であると教えていただいています。
「間違いなくお浄土へ参らせていただける」と、発こるはずもない心が発る。
如来のご回向とお聞かせいただいておりますが、不思議なことです。
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