2024年6月10日月曜日

衣食住の三つそろいたること

 佛の冥加を有難く思う心だにあれば、たとい身は卑しく家は貧しくとも、自ずから衣食住そろいたることを喜ばるるものであります。
 孔子聖人は、

 「節を制し度を謹めば満つれども溢れず、満つれども溢れざれば、長く富を守る所以なり」

と仰せられ、徒費を省き礼を守ることを教えられました。
 また叡山の大徳 元三大師(良源上人)は、出離菩提にのみ志しておられましたが、却って至尊の帰依を得て、一山は隆昌の絶頂に達しました。大師これを見て懼れ怪しみ、疑心の色ありしが、やがて「菩提を勤め求むればすなわち現世の悉地を成ず」といえる金言を見出だして、わずかに不安の念を払われたと伝えられています。
 冥加を重んぜられた方は、蓮如上人を以て日本佛教史上第一人者とせねばなりますまい。上人は何物もこれ佛物であると思って大切にせられました。例えば廊下に落ちている紙屑までも拾って頂かれました。
 ー 桂利劔師の法語

稲垣瑞劔師「法雷」第84号(1983年12月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「冥加を重んぜられた方は、蓮如上人」とあります。
『御一代記聞書』には、何か所も冥加が出てきます。
「冥」には、こちらからは見えないがむこうからは見える
という意味があるとの事で、おかげさまという気持ちを
大切にしたいところです。

光瑞寺 さんのコメント...

三人の先人が紹介されていますが、冥加を畏むいずれのご態度にも、襟を正されます。

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...