2025年3月5日水曜日

念佛のうた㈠

私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。
  

念佛のうた

佛法は
耳で聞いて 眼で聞いて
心で聞いて 身で聞いて
身に佛法が つくことは
これ上上の 聞きかたか

「無常」を観じ 念じつめ
後生のことに おどろいて
透れぬ関所に ぶちあたり
「解脱の耳」を 振り立てて
聞くのでなければ 似せものか

生死のことは 大きいぞ
「大きな佛法」 南無阿弥陀
「無碍の佛智」の ひとり立ち
仰ぐこころも 南無阿弥陀
佛智即行 おもしろや

如来のお顔を 見てみれば
「心配するな」と 声がある
声が如来か 如来が声か
大悲の声に つつまれて
日ぐらし あさまし はずかしい

「信は願より生ずれば 念佛成佛 自然なり」
六字の願力 自然なり
「自然」を仰ぐも 我れならず
自然の願力 無理はない
無理があっては 落ちまする

病気貧乏 世の責め苦
無理と無精と 欲深と
我が身知らずが その本か
「道心」持って 法聞かば
この世の福寿 きわもなく
衣食はおのずと ついてくる

佛法力の 不思議にて
因果業報 あるまままに
自然の浄土に 入ることは
佛智 大悲 本願力
南無阿弥陀佛の 不思議なり

「自然」「自然」と つねに言い
はからい 語れば 逃げまする
「ことば」「説明」 そらあかん
だまっていても そらあかん
こちらに用事は ないわいな

逃げない願力 「摂取不捨」
「若不生者」の およびごえ
「南無と帰命」は およびごえ
「南無」の二字が 成就して
あるのも知らず うかうかと
まだ「はからい」や つっぱりを
探しもとむる 人あわれ
信心を 探す闇夜の盲人(めしい)かな

「願力無窮」に 眼がついて
不思議に私に しみわたり
知らずに出づる お念佛
散乱放逸 いつ見ても
願力無窮 いつ見ても
「ああ、ありがたい、忝い」
おもうも言うも おろかなり

稲垣瑞劔師「法雷」第90号(1984年6月発行)

念佛のうた㈠

私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。    念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...