念佛のうた
三宝(佛・法・僧)信じ 業(ごう)信じ
三世の因果 信ぜよや
久遠のやみは 「無碍光」に
とうとう負けて 晴れました
晴れたすがたは 南無阿弥陀
我が往生は 南無阿弥陀
ひとりよろこぶ 佛法も
「身にもあまりて」 尽十方
ひとしくひとえに 弘めなん
如来と私の 親しみは
炭に火のつく ごとくなり
離れ離れは そら駄目じゃ
鼻に掛けぬが 佛法で
「常行大悲」が 佛法じゃ
如来のお仕事 佛法じゃ
如来のお仕事 南無阿弥陀
喚ばうて助くる 本願力
ああ忝い 「我もまた
彼の摂取の 中にあり」
佛法聞いて 身につかば
身をばはなれて 月一輪
佛智不思議に 雲霧も
はれて今宵は すがすがし
火車来現は あたりまえ
死ぬる今際の きわまでも
「うろうろもの」で ありまする
なんぼ聞いても 「あかなんだ」
凡夫の自性は 玉ねぎで
むいてもむいても 皮ばかり
わたしも佛法 九十年
もがいてみたが あかなんだ
ちょろこい聞きかた 何になる
天狗か不安か 猿まねじゃ
「うろうろもの」と 銘打って
出てくる「佛弟子」 逢いたいな
死ぬるにきまった この我は
死ぬることだけ 間違わぬ
思い・行い 善い事の
出来ぬこの身も 死ぬだけは
否でも応でも やってくる
死ぬる問題 解けたなら
「正直」「勤勉」「親切」と
「学」「徳」「信」で やりましょう
この心得が ない故に
佛法だんだん 衰える
如来は親様 「見てござる」
「護って」「待って」 ござるぞよ
露の命が 終わったら
「法性常楽」 お浄土じゃ
佛智の不思議は 不思議なり
願力自然は 不思議なり
「義なきを義とす」と 信知せよ
「ただ念佛して」の ただの味
あらおもしろや おもしろや
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