稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
聖典による学び(梯実圓和上)http://access-jp.net/amida/monsi/kakehasi01/next.htmlここでは、私が主体になって読むのではない、むしろ逆に「お聖教」が主体となって私が何者であるかを知らせていただくというような読み方がされなければなりません。とあります。
先ほど頂いたお電話でもしやと思ってPC開きましたところ、コメントに気付きました。いつも有り難うございます。梯和上の文章も読ませて頂きました。いずれ「お聖教」を深く味わってゆかれた方には、如来さまが語りかけて下さる心地がするのでしょうね。ありがたいご指南です。
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私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。 念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...
2 件のコメント:
聖典による学び(梯実圓和上)
http://access-jp.net/amida/monsi/kakehasi01/next.html
ここでは、
私が主体になって読むのではない、むしろ逆に「お聖教」が主体となって私が何者であるかを知らせていただくというような読み方がされなければなりません。
とあります。
先ほど頂いたお電話でもしやと思ってPC開きましたところ、コメントに気付きました。いつも有り難うございます。
梯和上の文章も読ませて頂きました。いずれ「お聖教」を深く味わってゆかれた方には、如来さまが語りかけて下さる心地がするのでしょうね。ありがたいご指南です。
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