稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
『自分の心掛けばかりを気にしているのは不実の信である。「如来様が真実やなあ」と不可思議に頂けたのが、真実の浄信である。』これは、御一代記聞書にある「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、心得たるなり。」と同じことではなかろうかと味わせて頂きました。
「弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよ」中宗上人の御領解ありがたし。
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佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...
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『自分の心掛けばかりを気にしているのは不実の信である。
「如来様が真実やなあ」と不可思議に頂けたのが、真実の浄信である。』
これは、御一代記聞書にある
「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。
弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、心得たるなり。」
と同じことではなかろうかと味わせて頂きました。
「弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよ」
中宗上人の御領解ありがたし。
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