稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
『自分の心掛けばかりを気にしているのは不実の信である。「如来様が真実やなあ」と不可思議に頂けたのが、真実の浄信である。』これは、御一代記聞書にある「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、心得たるなり。」と同じことではなかろうかと味わせて頂きました。
「弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよ」中宗上人の御領解ありがたし。
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禅では「不立文字」ということを言うが、えらい禅師は、決してお経を嫌わぬ。白隠禅師は『法華経』を読んで悟りを開かれたということである。今日でも禅者は、『法華経』や『金剛経』や『楞厳経』、『般若心経』や『観音経』『楞伽経』などを特に尊ぶのである。またたくさんの禅書も語録も公案もある...
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『自分の心掛けばかりを気にしているのは不実の信である。
「如来様が真実やなあ」と不可思議に頂けたのが、真実の浄信である。』
これは、御一代記聞書にある
「心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。
弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、心得たるなり。」
と同じことではなかろうかと味わせて頂きました。
「弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよ」
中宗上人の御領解ありがたし。
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