2020年2月24日月曜日

2011(平成23)年8月発行


2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「経典」が日本に渡ってきたのは、
まんが日本の歴史に、
「欽明天皇のとき(538年、一説には552年)、百済の聖明王から、仏像と経典が日本に送られてきました。」
とありました。

光瑞寺 さんのコメント...

「欽明天皇のとき送られた」とある佛教受容についてふと思ったのですが、歴史的には天皇の決断によって佛教が入ってきたことになりますが、親鸞聖人は、聖徳太子の上にその功績を見ておられたのではないでしょうか。
聖人は、正像末和讃に含まれている「皇太子聖徳奉讃」11首 以外に、和国の教主への敬慕を二百首近く詠まれていますが、その第一首目、
「日本国帰命聖徳太子 佛法弘興の恩ふかし 有情救済の慈悲ひろし 奉讃不退ならしめよ」
によって全讃を代表させてあるとも窺えます。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...