稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「経典」が日本に渡ってきたのは、まんが日本の歴史に、「欽明天皇のとき(538年、一説には552年)、百済の聖明王から、仏像と経典が日本に送られてきました。」とありました。
「欽明天皇のとき送られた」とある佛教受容についてふと思ったのですが、歴史的には天皇の決断によって佛教が入ってきたことになりますが、親鸞聖人は、聖徳太子の上にその功績を見ておられたのではないでしょうか。聖人は、正像末和讃に含まれている「皇太子聖徳奉讃」11首 以外に、和国の教主への敬慕を二百首近く詠まれていますが、その第一首目、「日本国帰命聖徳太子 佛法弘興の恩ふかし 有情救済の慈悲ひろし 奉讃不退ならしめよ」によって全讃を代表させてあるとも窺えます。
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「経典」が日本に渡ってきたのは、
まんが日本の歴史に、
「欽明天皇のとき(538年、一説には552年)、百済の聖明王から、仏像と経典が日本に送られてきました。」
とありました。
「欽明天皇のとき送られた」とある佛教受容についてふと思ったのですが、歴史的には天皇の決断によって佛教が入ってきたことになりますが、親鸞聖人は、聖徳太子の上にその功績を見ておられたのではないでしょうか。
聖人は、正像末和讃に含まれている「皇太子聖徳奉讃」11首 以外に、和国の教主への敬慕を二百首近く詠まれていますが、その第一首目、
「日本国帰命聖徳太子 佛法弘興の恩ふかし 有情救済の慈悲ひろし 奉讃不退ならしめよ」
によって全讃を代表させてあるとも窺えます。
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