「難度海」とは生死の苦海である。これをどうして渡るか。
謂く、「難思の弘誓」である、本願力である。
弘誓広大にして虚空の如く、諸の妙功徳を具す。これを『歎異抄』には
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をば遂ぐるなり」
とある。
どうしたら助かるか、どうしたら救われるかと、問うこと勿れ。「難思の弘誓」、即ち「誓願不思議にたすけられまゐらす」のである。
不可思議の佛智、「難思の弘誓」は如来の無量力功徳である。願力一つを仰いで安心安堵するも、亦是れ「難思の弘誓」の力である。
稲垣瑞劔師「法雷」第13号(1978年1月発行)
2 件のコメント:
「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。」
(教行信証化身土巻)
この「樹て」であって「立て」ではないのが、全分他力と聞かせていただきました。
知らずに読んでいました。
根無し草の心が弘誓の大地に根を張る、とは他力の御催しなのですね。
有り難うございます。
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