2020年6月24日水曜日

心を弘誓の佛地に樹て

 『教行信証』総序の文に曰く「難思の弘誓は難度海を度する大船」と。
 「難度海」とは生死の苦海である。これをどうして渡るか。
 謂く、「難思の弘誓」である、本願力である。

 弘誓広大にして虚空の如く、諸の妙功徳を具す。これを『歎異抄』には
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をば遂ぐるなり」
とある。

 どうしたら助かるか、どうしたら救われるかと、問うこと勿れ。「難思の弘誓」、即ち「誓願不思議にたすけられまゐらす」のである。

 不可思議の佛智、「難思の弘誓」は如来の無量力功徳である。願力一つを仰いで安心安堵するも、亦是れ「難思の弘誓」の力である。

稲垣瑞劔師「法雷」第13号(1978年1月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。」
(教行信証化身土巻)

この「樹て」であって「立て」ではないのが、全分他力と聞かせていただきました。

光瑞寺 さんのコメント...

知らずに読んでいました。
根無し草の心が弘誓の大地に根を張る、とは他力の御催しなのですね。
有り難うございます。

和讃と歎異抄の味わい⑹

 四、死と組み打ちして  「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。  ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...