2020年8月27日木曜日

本願成就文(一)

 天親菩薩は『浄土論』の巻頭に
 「世尊よ、我れ一心に尽十方無碍光如来に帰命し、安楽国に生ぜんと願ず」
と申されて、自督の信心を表白された。
 親鸞聖人は、それをお釈し遊ばされて、
 「帰命尽十方無碍光如来」(真実功徳相)は「誓願の尊号なり」
と仰せられた。是れ即ち「南無阿弥陀佛」である。

 大無量寿経の第十八願の「成就文」に曰く
 「其の名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん。・・・即ち往生を得、不退転に住す」
と。
 「一心帰命尽十方無碍光如来」は、即ち「聞其名号・信心歓喜」である。
 浄土真宗の安心、この外にあることなし。これが真宗の面目である。これを「横超」という。信巻にその旨が懇切に説かれてある。

 迷うてはならぬ。惑うてはならぬ。一生涯の努力を、「聞其名号・信心歓喜・乃至一念」の一句に捧げてこれを研究し、よくよく聴聞すべきである。

稲垣瑞劔師『法雷』第15号(1978年3月発行)

0 件のコメント:

死の解決㈢

 世の人は「救い」「救い」と言っておるが、「救い」とは何であるか、殆どすべての人が「救い」を知らない。死を宣告された人から見ると、五欲街道の修理は「救い」でない。  真の救いは、救う人と同じ境地に到達してこそ「救われた」と言えるのである。あるいは、救う人の境地に必ず行けるという大...