稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「私の思う通りに、おまえは動かなければならない。」「我らはともに佛の教えに従おう。」これは、自灯明、法灯明、であると書かれていました。パーリ語聖典を見るのは初めての事となりました。
『仏教聖典』(仏教伝道協会 発行)から引用しました。パーリ語原典はあたっていません、紛らわしい記述で申し訳ありません。漫然と「煩悩心との決別」だと読んでいましたが、「自灯明」「法灯明」と聞くとなるほど、法義に適い、よりどころがはっきりします。
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世の人は「救い」「救い」と言っておるが、「救い」とは何であるか、殆どすべての人が「救い」を知らない。死を宣告された人から見ると、五欲街道の修理は「救い」でない。 真の救いは、救う人と同じ境地に到達してこそ「救われた」と言えるのである。あるいは、救う人の境地に必ず行けるという大...
2 件のコメント:
「私の思う通りに、おまえは動かなければならない。」
「我らはともに佛の教えに従おう。」
これは、自灯明、法灯明、であると書かれていました。
パーリ語聖典を見るのは初めての事となりました。
『仏教聖典』(仏教伝道協会 発行)から引用しました。パーリ語原典はあたっていません、紛らわしい記述で申し訳ありません。
漫然と「煩悩心との決別」だと読んでいましたが、「自灯明」「法灯明」と聞くとなるほど、法義に適い、よりどころがはっきりします。
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