2020年12月4日金曜日
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他力には無理がない
願力成就の報土 人間の一切の生活、一切の思い、一切の行いは、相対の見から来る。相対の見を持った凡夫が、往生の因を自分の胸の内に見出だそうとしても、それは天上の月をつかむようなものである。「願力成就の報土」に往生するには、ただ十八願の「本願力のよびごえ」に引かれて参るよりほかに...
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「子どもが育つ魔法の言葉」 「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子は 力にたよることをおぼえる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子は 忍耐を 友情を知る子は 親切を 安心を経験した子は 信...
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善導大師のたまわく 「到る処に余の楽なし、唯だ愁歎の声を聞く」 (六道の何処にも楽はない、ただ愁い歎きの声ばかり) と。言葉は厭世教のように聞こえるが、これが人生の真実のすがたである。 人生を楽なりといい、楽のみを追い求めておる人間こそ、寝ぼけておるのである。古語に曰く「...
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どこの国でも物質文明が進むと、精神文化が衰えるのが通例である。神戸でも今から七十五年ほど前には、毎日説教のある寺が三つあった。いずれも百人以上の参詣人があった。今日では毎日説教のある寺は一ヵ寺もない。この現象は全国的である。 如来さまには無碍の光明がある。この光明の力は、煩悩と菩...
2 件のコメント:
「洞然として」は、聞きなれない言葉だったので意味を調べてみたところ、
はげしく燃える様子ということでした。
往生要集の第一厭離浄土にありました。
「…独り黄泉の底に入る時、多百踰繕那の洞然たる猛火のなかに堕ちて、…」
源信和尚にせよ瑞劔師にせよ、罪悪の焔が激しく身を焼くさまを、どこかに感じておられたのではないでしょうか。
白隠禅師は幼少の頃、寺で聞いた地獄の話をひどく恐がり、火をくべた風呂を見ても地獄の釜を連想して泣いたと言います。
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