- やれうれし 今朝もまた
お慈悲はありあり眼の前に
お立ちあそばす如来さま
お顔(本願力)のうちに生死を離る。
我も亦 彼の摂取の中に在り
ともに参ろう 法の友。
- 聞くままに
ただ聞くままに お慈悲よと
たのむなりけり 弥陀のよびごえ
- すやすやと 親に抱かれた あの赤児
落ちる落ちぬの 心配もなし
- 今は早や こころにかかる雲もなし
見られ知られて 参る極楽
- 南無阿弥陀佛は如来のいのち
通い来たりて私しのいのち
親と子供がひとつのいのち
ひとつの息がお念佛
- 朝な夕な 南無阿弥陀佛の生き佛様が
耳から口から出入りして下さっている。
- 私が如来さまのお腹の中に
宿ったすがたが南無阿弥陀佛である。
- 凡夫というものは
箸にも棒にもかからぬものである。
「親様なればこそ」
- 「心配するな」と
よんで下さっている如来様の
生の声が南無阿弥陀佛である。
- 「南無阿弥陀佛 落としはせぬぞ」と
ようまあ御本願を建てて下さったことよ。
稲垣瑞劔師「法雷」第18号(1978年6月発行)
2 件のコメント:
法悦です。
南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛
いずれも南無阿弥陀佛
南無阿弥陀佛は如来のいのち
通い来たりて私しのいのち
不可分不可同です。
有り難うございます。
お念佛よろこぶそのおすがたに、こちらもうれしくなります。
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