2021年6月13日日曜日
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親に連れられてゆく
まことが大道 如来の「まこと」一つが、涅槃に到る大道である。如来のまことの門が、私一人のために開かれてあるのに、何をくよくよ門の外で泣いているのか。それ「南無阿弥陀佛」と親様が迎えに来られている。 すうと透ればよい 門はいつでも開いておるけれども、自分の方でなんとかして開...
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「子どもが育つ魔法の言葉」 「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子は 力にたよることをおぼえる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子は 忍耐を 友情を知る子は 親切を 安心を経験した子は 信...
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善導大師のたまわく 「到る処に余の楽なし、唯だ愁歎の声を聞く」 (六道の何処にも楽はない、ただ愁い歎きの声ばかり) と。言葉は厭世教のように聞こえるが、これが人生の真実のすがたである。 人生を楽なりといい、楽のみを追い求めておる人間こそ、寝ぼけておるのである。古語に曰く「...
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どこの国でも物質文明が進むと、精神文化が衰えるのが通例である。神戸でも今から七十五年ほど前には、毎日説教のある寺が三つあった。いずれも百人以上の参詣人があった。今日では毎日説教のある寺は一ヵ寺もない。この現象は全国的である。 如来さまには無碍の光明がある。この光明の力は、煩悩と菩...
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