2021年8月4日水曜日
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和讃と歎異抄の味わい⑼
六、称名念佛をはげむ人 滋賀県にある一人のお坊さんがおられる。なかなか立派な、まじめな御僧である。そのお方は、第十八願の純粋他力の信心を長い間求められたが、どうしても「佛智即行」とか「尽十方無碍光如来一法身 (いっぽっしん) の独立」とか「本願力一つ」とか、また法然上人のお歌...
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「子どもが育つ魔法の言葉」 「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子は 力にたよることをおぼえる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子は 忍耐を 友情を知る子は 親切を 安心を経験した子は 信...
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どこの国でも物質文明が進むと、精神文化が衰えるのが通例である。神戸でも今から七十五年ほど前には、毎日説教のある寺が三つあった。いずれも百人以上の参詣人があった。今日では毎日説教のある寺は一ヵ寺もない。この現象は全国的である。 如来さまには無碍の光明がある。この光明の力は、煩悩と菩...
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佛という御方はどういう御方か、佛智はどのくらい深いものか、不思議なものか、本願力はどのくらい力強いものかということが飲み込めると、それがそのまま信心であるが、これが何十年説教を聞いても、しかと合点がゆかぬものであるから、信心は難中の難となってくる。 三部経でも和讃でも、大蔵経...
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