腹というものは、立ちやすうて据わりにくいものである。
お釈迦様の仰ることは嘘ではない。善導大師、法然聖人、親鸞聖人のお言葉を信ずるので、自分の後生が極まる。
いろいろ書物を読んでみたが、どの書物もカスカス、自分の生命(いのち)となり、血液となる書物は佛法の本ばかり。佛法の中でも浄土真宗のお聖教は、ほんまの生命の水である。
世の中は迷信か無宗教か、無安心か異安心か。これでは困ったものである。
佛法が腹に入ると「困った」ということはなくなる。これは不思議である。そのわけは、
因縁を知るからである。
欲を出さぬからである。欲のないものは無いが、曲がった欲は出さぬ。
それで諸天善神のお守りがある。
佛法の尊さ これに肚が据わって
心の不思議 これに目をつけて
本願力の強さ これで安心 これで安心。
稲垣瑞劔師「法雷」第68号(1982年8月発行)
2 件のコメント:
肚(はら)という字を見たのは初めてでした。
「腹の据わり」という標題であれば、見過ごしていたいたところですが、
肚とされていたので、考え直す機会となりました。
腹の指す意味は、広くなっているのでしょうが、背に対するのが腹であって、
肚は、それぞれの生き物の中心部分を指し、対義語がないのでしょう。
「肚の据わり」が、しっくりとします。
私は逆に見慣れて見過ごしていました。
それにしても、対義語を考えることで違いが際立つ、なるほどです。目から鱗が落ちる思いです。
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