日本が永久に世界に誇ることができる文化は、凡そ三人による三書である。一には弘法大師の『十巻章』があり、二には道元禅師の『正法眼蔵』九十五巻であり、三には親鸞聖人の『教行信証』六巻である。
いずれも世界第一の宗教書であると同時に、世界第一難解な書物である。これを手にして読み始めるものは牛毛の如くたくさんあるが、その真精神を得て、「生死の大問題」を解決した人は暁天の星の如く少ないのである。
その理由は、自己の生死の問題とせず、無常の風が何処を吹いておるだろうかといったような顔をしてこれを読むから、文字は分かっても心が分からず、知解分別で分かっても「自己の問題」「生死の問題」が解決できないのである。これでは佛法でもなく、佛道でもない。
自己を究明し、自己の生死の問題を解決しようと不惜身命で踏み出すのでなければ、これらの書物は分かるものではない。臨済宗で用いられる『臨済録』にしても『碧厳集』十巻にしても同じことである。
道元禅師の『学道用心集』に曰く、
「参学識るべし、佛道は思量、分別、卜度、観想、知覚、慧解の外にあり」
と。親鸞聖人の『教行信証』の信巻に曰く、
「凡そ大信海を按ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女老少を謂はず、造罪の多少を問わず、修行の久近を論ぜず(以上 四不)、行に非ず 善に非ず、頓に非ず 漸に非ず、定に非ず 散に非ず、正観に非ず 邪観に非ず、有念に非ず 無念に非ず、尋常に非ず 臨終に非ず、多念に非ず 一念に非ず(以上 十四非)、唯是れ不可思議不可称不可説の信楽なり、喩へば阿伽陀薬の能く一切の毒を滅するが如し、如来誓願の薬は能く智愚の毒を滅するなり」
と。「如来誓願の薬」とは如来の本願力である。本願力によりて生死の問題を解決するのである。本願力を聞き、本願力に眼をつけ、本願力を仰ぎ仰ぎて「思量、分別、卜度、観想、知覚、慧解」に渡らず、何ものにも腰を掛けず、唯だ本願力の不思議と信ずるところに、生死を離るるのである。
念力願力 南無阿弥陀佛 そのはたらきは不思議なり
はたらくままに われは往くなり (瑞劔)
稲垣瑞劔師「法雷」第78号(1983年6月発行)
2 件のコメント:
「不惜身命で踏み出すのでなければ、」
とあります。
まことに、仏道は命がけであります。のんびり聞くようなものでなく、片時もおろそかにできず、存命のうちに、信心決定あれかしと教えていただいています。
信決定は、この迷いの命が、悟りの無量寿へと転じられる一大事因縁です。驚くばかりです。
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