本願力があればこそ
三昧海の不思議
如来の不思議
大悲心の感得
本願力があればこそ
三昧海の不思議
如来の不思議
大悲心の感得
「本願寺聖人の仰にのたまはく、・・・是非しらず邪正もわかぬこの身にて、小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり。往生浄土のためにはただ信心を先とす、そのほかをばかへりみざるなり。往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし」
「節を制し度を謹めば満つれども溢れず、満つれども溢れざれば、長く富を守る所以なり」
「五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」
「寿命甚だ得難く佛世また値ひ難し。人信慧有ること難し。若し聞かば精進して求めよ」
「汝、今また自ら生死老病の痛苦を厭う可し。悪露不浄にして楽しむべきもの無し。宜しく自ら決断し、身を端し行を正し、ますます諸善を作し、己を修め体を潔くし、心垢を洗除し、言行忠信にして表裏相応すべし。人能く自ら度し、転た相拯済し、精明に求願して善本を積累せよ。一世を勤苦すといえども須臾の間なり」
「汝ら是に於て広く徳本を植えて、恩を布き恵を施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進、一心智慧をもって転た相教化し、徳を為し善を立てよ。正心正意にして斎戒清浄すること一日一夜すれば、無量寿国に在りて善を為すこと百歳するに勝れり」
私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。 念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...