願力回向の信行
一如法界の真理は、凡夫には分からぬ。ただただ不思議であるというより外はない。阿弥陀如来は、真如を観照して真如の功徳を我らに得せしめたもうのである。本願力回向の大信心と大行とが、それである。
凡夫の実態
人間は、罪も深いが第一に散乱放逸である。無慚無愧である。とかく凡夫は、頭の中ではからう。佛智の不思議をはからう。「はからい」が往生の邪魔をするのである。
凡夫の相場
凡夫は、自分が凡夫でありながら、凡夫の相場がなかなか極まらぬ。極まらぬものだから、佛のありがたさも分からぬ。凡夫の相場は、散乱放逸と無慚無愧である。
おれにまかせよ
如来様は、凡夫がいろいろとはからいをやっておるのをあわれに思し召して、「俺にまかせよ。かならず無上佛に仕立ててやるぞ」と仰せられる。
無碍の佛智
迷うにも法がある。悟るにも法がある。凡夫の世界には凡夫の法がある。如来の世界には本願力の法がある。如来は本願力で助けたもうのである。とかく凡夫は、浅知恵で無碍の佛智を疑うから佛には成れぬ。
涅槃と成佛の教え
「涅槃」を指し示した宗教は、佛教より他にはない。成佛することができると教える宗教も仏教以外にはない。「涅槃」を説き、それに至る大道を細々と説いたところに佛教の勝れたところがある。
稲垣瑞劔師「法雷」第91号(1984年7月発行)
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