2019年11月26日火曜日

2010(平成22)年10月発行

間違えて削除したため、再投稿しました。

1 件のコメント:

光瑞寺 さんのコメント...

(管理者側に残っていたコメントを再投稿させていただきました)

>たった独り死んでいかねばならぬ。 大無量寿経の下巻には、「寿終身死 當獨遠去」 寿終え身死して 当に独り遠く去る。とありました。 釈尊の勧信誡疑の三毒訓誡の貪欲の誡にあり、 生死に直面し、真剣になり、佛法を求める心が起こる。それも阿弥陀仏のはたらきであると、聞かせて頂きました。

土見誠輝
(19/10/22)


土見さんの投稿のお陰で、9年前の文章に襟を正されます。 9年前と申しますと、長くご指導下さっていた恩師が体調を崩され、なかなかお会いできなかった頃になりましょうか。寺のことは慣れてきたものの、勉強の面で落ち着かなかったことを思い出しました。 当時のことを思い出して、気を引き締めて参りたいと思います。

光瑞寺
(19/10/22)

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...