稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
(管理者側に残っていたコメントを再投稿させていただきました) >たった独り死んでいかねばならぬ。 大無量寿経の下巻には、「寿終身死 當獨遠去」 寿終え身死して 当に独り遠く去る。とありました。 釈尊の勧信誡疑の三毒訓誡の貪欲の誡にあり、 生死に直面し、真剣になり、佛法を求める心が起こる。それも阿弥陀仏のはたらきであると、聞かせて頂きました。土見誠輝(19/10/22)土見さんの投稿のお陰で、9年前の文章に襟を正されます。 9年前と申しますと、長くご指導下さっていた恩師が体調を崩され、なかなかお会いできなかった頃になりましょうか。寺のことは慣れてきたものの、勉強の面で落ち着かなかったことを思い出しました。 当時のことを思い出して、気を引き締めて参りたいと思います。光瑞寺(19/10/22)
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佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...
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(管理者側に残っていたコメントを再投稿させていただきました)
>たった独り死んでいかねばならぬ。 大無量寿経の下巻には、「寿終身死 當獨遠去」 寿終え身死して 当に独り遠く去る。とありました。 釈尊の勧信誡疑の三毒訓誡の貪欲の誡にあり、 生死に直面し、真剣になり、佛法を求める心が起こる。それも阿弥陀仏のはたらきであると、聞かせて頂きました。
土見誠輝
(19/10/22)
土見さんの投稿のお陰で、9年前の文章に襟を正されます。 9年前と申しますと、長くご指導下さっていた恩師が体調を崩され、なかなかお会いできなかった頃になりましょうか。寺のことは慣れてきたものの、勉強の面で落ち着かなかったことを思い出しました。 当時のことを思い出して、気を引き締めて参りたいと思います。
光瑞寺
(19/10/22)
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