2019年12月30日月曜日
2019年12月26日木曜日
よびごえを聞くとは
「よびごえを聞く」とは、
死にがけに真っ暗闇が出て来ても、
どうにもこうにもなれぬようになったその時にも、
今でも、
阿弥陀如来の本願力という大悲大智の力で、
南無阿弥陀佛の功徳力で、
往生させて下さる事実を、
「よびごえを聞く」というのである。
聞いたこと、思うておること、何もかも役に立たぬ。
真っ暗闇でないか、それが分からんか。
死にがけに真っ暗闇が出て来ても、
どうにもこうにもなれぬようになったその時にも、
今でも、
阿弥陀如来の本願力という大悲大智の力で、
南無阿弥陀佛の功徳力で、
往生させて下さる事実を、
「よびごえを聞く」というのである。
聞いたこと、思うておること、何もかも役に立たぬ。
真っ暗闇でないか、それが分からんか。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)
2019年12月21日土曜日
2019年12月15日日曜日
金剛経の言葉
金剛経に言く
「一切の有為法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦電の如し、応に是の如き観を作すべし」
凡夫の思いも学問も名利も、すべては夢・幻・泡・影の如し。聞き心も信じ心も、また露の如く、電の如し。唯だ如来大悲の本願力のみが、太陽の如く、不変不動に、静かに光り輝いている。
「一切の有為法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦電の如し、応に是の如き観を作すべし」
凡夫の思いも学問も名利も、すべては夢・幻・泡・影の如し。聞き心も信じ心も、また露の如く、電の如し。唯だ如来大悲の本願力のみが、太陽の如く、不変不動に、静かに光り輝いている。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)
2019年12月10日火曜日
2019年12月5日木曜日
ただ仰がれる
自分が死んでゆくことは、天地が一時に滅するほどの大きな出来事である。
今臨終となれば何がある。絶対暗黒、絶対孤独、絶対無力、絶対恐怖の外に何もあるまい。是れを思え、之を念え。無常の風は時をえらばぬ。無明長夜の闇を晴らして下さるのは、阿弥陀如来と本願名号あるのみである。
如来さまは尊い尊い、尊い御方である。「如来さまは尊い御方やなあ!」と思われたらよし。もう言う事もなし、聞く事もなし。
今臨終となれば何がある。絶対暗黒、絶対孤独、絶対無力、絶対恐怖の外に何もあるまい。是れを思え、之を念え。無常の風は時をえらばぬ。無明長夜の闇を晴らして下さるのは、阿弥陀如来と本願名号あるのみである。
如来さまは尊い尊い、尊い御方である。「如来さまは尊い御方やなあ!」と思われたらよし。もう言う事もなし、聞く事もなし。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)
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佛法を聞くのには、「不惜身命」と言われてあるが、この世の苦労と心配事が常に佛法に精進する心を鈍らすものである。然しながら、その人間苦の中から、大悲のみ親の「我れ能く汝を護らん」という力強い声を聞くことは、慶びの中の慶びである。 常に「盛者必衰、会者定離」と覚悟を決めておること...
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さらに道元禅師は「生死」の巻に曰く、 「これをいといすてんとすれば、すなわち佛の御いのちをうしなわんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛の御いのちをうしなうなり。佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したうことなき、このとき、はじめて佛のこころに入る...
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露の命であるから、自分の生死の問題は急を要する。地獄の猛火がひざの下から、えんえんと燃え上がっておる。その中で佛法を聞く。 その瞬間に佛法の真味を体得せねばならぬ。それは、如来の大慈悲本願力を、しみじみ感ずることである。 稲垣瑞劔師「法雷」第90号(1984年6月発行)