2019年12月26日木曜日

よびごえを聞くとは

「よびごえを聞く」とは、
死にがけに真っ暗闇が出て来ても、
どうにもこうにもなれぬようになったその時にも、
今でも、
阿弥陀如来の本願力という大悲大智の力で、
南無阿弥陀佛の功徳力で、
往生させて下さる事実を、
「よびごえを聞く」というのである。
聞いたこと、思うておること、何もかも役に立たぬ。
真っ暗闇でないか、それが分からんか。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)

2019年12月15日日曜日

金剛経の言葉

 金剛経に言く
「一切の有為法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く亦電の如し、応に是の如き観を作すべし」

 凡夫の思いも学問も名利も、すべては夢・幻・泡・影の如し。聞き心も信じ心も、また露の如く、電の如し。唯だ如来大悲の本願力のみが、太陽の如く、不変不動に、静かに光り輝いている。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)

2019年12月5日木曜日

ただ仰がれる

 自分が死んでゆくことは、天地が一時に滅するほどの大きな出来事である。
 今臨終となれば何がある。絶対暗黒、絶対孤独、絶対無力、絶対恐怖の外に何もあるまい。是れを思え、之を念え。無常の風は時をえらばぬ。無明長夜の闇を晴らして下さるのは、阿弥陀如来と本願名号あるのみである。
 如来さまは尊い尊い、尊い御方である。「如来さまは尊い御方やなあ!」と思われたらよし。もう言う事もなし、聞く事もなし。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...