稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「この一葉千思して可なり」は、「一葉千思」という熟語ではなく、「この一葉」「千思して可なり」と、区切るのが良いと思いました。「この一葉」は、たった一枚の葉のような私が、「千思して可なり」は、千もの無限の思いを巡らしているまま、いま助かるのである。
古い文体ですので所々読みにくい部分もあるかと思います、随時ご指摘下されば幸いです。「この一葉、千思して可なり」という言い回しも、先例があるのかもしれません。寡聞にして存じませんが。「一葉」には「一枚」という意味もございます、ご自身の綴られた短文を指す場合もあろうかと存じます。
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佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...
3 件のコメント:
「この一葉千思して可なり」は、「一葉千思」という熟語ではなく、
「この一葉」「千思して可なり」と、区切るのが良いと思いました。
「この一葉」は、たった一枚の葉のような私が、
「千思して可なり」は、千もの無限の思いを巡らしているまま、いま助かるのである。
古い文体ですので所々読みにくい部分もあるかと思います、随時ご指摘下されば幸いです。
「この一葉、千思して可なり」という言い回しも、先例があるのかもしれません。寡聞にして存じませんが。
「一葉」には「一枚」という意味もございます、ご自身の綴られた短文を指す場合もあろうかと存じます。
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