2020年2月10日月曜日

この無上の妙法を

 善導大師が仰せられた、「自ら信じ、人を教えて信ぜしむることは、難中の難、転た更に難し、大悲を普く伝うることは真に佛恩を報ずることに成る」と。
 自分だけ信じて、自分だけお浄土へ参ろうと思って「教人信」の無い人が多い。教人信の無い人は、大方「自信」も無い人である。
 まことの信心は必ず「教人信」となってあらわれるものである。いずれも光明のお恵みであり、本願力の然らしむるところである。それでこそ佛法がひろく、永久に伝わるのである。

 「大悲伝普化」の精神で、この超世無上の妙法を、人に伝えようと一歩踏み出すと、不思議なことには、自分の信心も増長し、同時に此の世の苦しみも、さのみ感ぜぬようになる。これが不思議の御恩である。
 苦しい苦しいと言うておれば切りのない事であるが、この苦しい娑婆を道場として、佛法を説かせてもらうと、「さてさておもしろき世なるかな」と思われてくる。
 なんびともここまで行けるから、この身分に成るまで聴聞しなければならぬ。今日から「ああ苦しい」とか「あほらしい」とか「情けない」とか云わぬことだ。九十二歳 瑞劔

稲垣瑞劔師「法雷」第7号(1977年7月発行)

1 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「自信敎人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報佛恩」
善導大師の「往生礼讃」にあるお言葉です。

親鸞聖人の「教行信証」には、
「自信敎人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報佛恩」
と引用され、どこどこまでも無限に弘く伝わること、
まことに仏恩報ずるになる。と味わせて頂きました。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...