自分だけ信じて、自分だけお浄土へ参ろうと思って「教人信」の無い人が多い。教人信の無い人は、大方「自信」も無い人である。
まことの信心は必ず「教人信」となってあらわれるものである。いずれも光明のお恵みであり、本願力の然らしむるところである。それでこそ佛法がひろく、永久に伝わるのである。
「大悲伝普化」の精神で、この超世無上の妙法を、人に伝えようと一歩踏み出すと、不思議なことには、自分の信心も増長し、同時に此の世の苦しみも、さのみ感ぜぬようになる。これが不思議の御恩である。
苦しい苦しいと言うておれば切りのない事であるが、この苦しい娑婆を道場として、佛法を説かせてもらうと、「さてさておもしろき世なるかな」と思われてくる。
なんびともここまで行けるから、この身分に成るまで聴聞しなければならぬ。今日から「ああ苦しい」とか「あほらしい」とか「情けない」とか云わぬことだ。九十二歳 瑞劔
稲垣瑞劔師「法雷」第7号(1977年7月発行)
1 件のコメント:
「自信敎人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報佛恩」
善導大師の「往生礼讃」にあるお言葉です。
親鸞聖人の「教行信証」には、
「自信敎人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報佛恩」
と引用され、どこどこまでも無限に弘く伝わること、
まことに仏恩報ずるになる。と味わせて頂きました。
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