2020年7月16日木曜日

光明てらしてほがらかに

 本典総序にいわく
 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
と。まことに明了である。文字通りである。思いわずろうこと勿かれ、はからい迷うこと勿かれ。

 無碍光のはたらきの外に破闇満願はない。称えてから、信じてからと踏み出すから、千迷道に入るのである。無碍の光明は智慧の光明である。無明の闇は、凡夫の自力ではどうにもこうにもならぬ。

 無明の闇を破する智慧光は太陽の光のごとくここに輝いておるのに、何を思い、何を求めておるのであるか。無碍の光ひとたび我が身を照らしたもうところ、早や如来の摂取光中に在り。何故であるか、我れも知らず、人も知らず、光明独用の天地である。

稲垣瑞劔師「法雷」第14号(1978年2月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

帰命尽十方無碍光如来
十字名号です。

善も悪も超えた世界が「無碍」と教えていただいています。

光瑞寺 さんのコメント...

天親菩薩ほどの御方が、一心に無碍光如来に帰命したてまつられた。

煩悩成就の私たちも、同じく他力の信が恵まれるとは。
大なる哉、無碍光の利益。

和讃と歎異抄の味わい⑹

 四、死と組み打ちして  「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。  ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...