安心は簡単に言うがよい。言葉多きは人を惑わす元である。
聖人も蓮如上人も、極めて簡単に、しかも力強く仰せられた。
簡単に、しかも正確に、衆生をあやまらざらしめんがために言おうとすれば、自然に月日と場所と人が異なるにつれて、たくさんの著述となったわけである。
一語一句に無限の味がこもっておる。また無尽の味が一句に摂まっておるのが佛語であり、佛教である。
されば多くを知ってもよし、一句を戴いておってもよし。一句一無上であり、千句千無上である。真に一句を戴いておれば、それで一生涯不自由しない。
さて、本願力を丸出しにした一句は何であろう。人人各各、有縁の句によって生死を離れる。
千億万偈を暗記していても後生助かる一句を見付けぬ人は、千億万偈も何の値打ちもない。「若不生者」の一句でも「心配するな」の一言でも、真に味わい、戴いている人には無上の宝である。
法を説く人は多くのことを知っておるが、聞く人の方が遥かに如来の大悲心を深く味わい、忝くいただいておる場合が多いとしたものである。これはどうしたことか、よくよく考えうべきである。
稲垣瑞劔師「法雷」第59・60号(1981年11月・12月発行)
4 件のコメント:
本願力を丸出しにした一句は何であろう。
とありますが、
「若不生者」「心配するな」「お助けを聞く」など、
これを座談で話し合うのが、仏法讃嘆である。
稲垣瑞劔師の師自身は、何の一句・一言であるのか、
お伺いしたいところであります。
想像の中でお尋ねさせていただくことです。
「瑞劔先生、本願力丸出しの一句は何でしょうか」
「夜は暗し 道も分からぬ そのときに
阿弥陀如来が 手を引いて
本願力は 大きいでなあ!」
しげき助ける
南無阿弥陀佛
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