2022年8月10日水曜日

能神の神力ならくのみ

 安心は簡単に言うがよい。言葉多きは人を惑わす元である。
 聖人も蓮如上人も、極めて簡単に、しかも力強く仰せられた。
 簡単に、しかも正確に、衆生をあやまらざらしめんがために言おうとすれば、自然に月日と場所と人が異なるにつれて、たくさんの著述となったわけである。


 一語一句に無限の味がこもっておる。また無尽の味が一句に摂まっておるのが佛語であり、佛教である。
 されば多くを知ってもよし、一句を戴いておってもよし。一句一無上であり、千句千無上である。真に一句を戴いておれば、それで一生涯不自由しない。

 さて、本願力を丸出しにした一句は何であろう。人人各各、有縁の句によって生死を離れる。
 千億万偈を暗記していても後生助かる一句を見付けぬ人は、千億万偈も何の値打ちもない。「若不生者」の一句でも「心配するな」の一言でも、真に味わい、戴いている人には無上の宝である。
 法を説く人は多くのことを知っておるが、聞く人の方が遥かに如来の大悲心を深く味わい、忝くいただいておる場合が多いとしたものである。これはどうしたことか、よくよく考えうべきである。

稲垣瑞劔師「法雷」第59・60号(1981年11月・12月発行)

4 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

本願力を丸出しにした一句は何であろう。
とありますが、

「若不生者」「心配するな」「お助けを聞く」など、
これを座談で話し合うのが、仏法讃嘆である。
稲垣瑞劔師の師自身は、何の一句・一言であるのか、
お伺いしたいところであります。

光瑞寺 さんのコメント...

想像の中でお尋ねさせていただくことです。
「瑞劔先生、本願力丸出しの一句は何でしょうか」

「夜は暗し 道も分からぬ そのときに
 阿弥陀如来が 手を引いて
 本願力は 大きいでなあ!」

土見誠輝 さんのコメント...

しげき助ける

土見誠輝 さんのコメント...

南無阿弥陀佛

死の解決㈢

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