三世諸佛はましませども、何にも知らず何にも出来ず、愚痴・無智・無能でその上に罪業深重、煩悩具足しておる凡夫は助けようがない。
ただ、阿弥陀如来お一人が、この落ちねばならぬ衆生を見そなわして、
「可哀想になあ、助けてやりたいなあ、私の念力で助けよう、大慈悲で助けよう、きっと助ける、助けなおかぬ」
と大決心をなされた。その大決心が本願である。
本願は阿弥陀様の大慈悲心であり、大慈悲力であり、また「きっと助けるぞ」と約束してくださった大誓願力である。
本願が成就して、約束通り、私が何もせず、何も知らず、「このまま」でお助け下さる佛智と大悲と力と、一切の功徳のかたまりが南無阿弥陀佛というよびごえである。
今、阿弥陀如来は、南無阿弥陀佛となって我等の前に現れ、我等を後ろから「南無阿弥陀佛、落としはせぬぞ」と、しかと私を抱きかかえて、お浄土へ連れて行ってくださるのである。
夜はくらし 道もわからぬその時に
阿弥陀如来が手を引いて 本願力は大きいでなあ!
阿弥陀如来はありがたい。
私のような罪業深重の、空っぽの、いたづらものを、落としはせぬぞと、ようまあ飛びついて下された。
親様なればこそ、本願力なればこそ。
稲垣瑞劔師「法雷」第63号(1982年3月発行)
2 件のコメント:
今、阿弥陀如来は、南無阿弥陀佛となって我等の前に現れ、我等を後ろから「南無阿弥陀佛、落としはせぬぞ」と、しかと私を抱きかかえて、お浄土へ連れて行ってくださるのである。
とありますが
往生の三カ条
二、助けたもうは弥陀如来
佛智と大悲とで力いっぱい、私に飛びついてくださいます。
コメントを投稿