2022年9月10日土曜日

往生三カ条(二)

 三世諸佛はましませども、何にも知らず何にも出来ず、愚痴・無智・無能でその上に罪業深重、煩悩具足しておる凡夫は助けようがない。
 ただ、阿弥陀如来お一人が、この落ちねばならぬ衆生を見そなわして、
 「可哀想になあ、助けてやりたいなあ、私の念力で助けよう、大慈悲で助けよう、きっと助ける、助けなおかぬ」
と大決心をなされた。その大決心が本願である。
 本願は阿弥陀様の大慈悲心であり、大慈悲力であり、また「きっと助けるぞ」と約束してくださった大誓願力である。
 本願が成就して、約束通り、私が何もせず、何も知らず、「このまま」でお助け下さる佛智と大悲と力と、一切の功徳のかたまりが南無阿弥陀佛というよびごえである。

 今、阿弥陀如来は、南無阿弥陀佛となって我等の前に現れ、我等を後ろから「南無阿弥陀佛、落としはせぬぞ」と、しかと私を抱きかかえて、お浄土へ連れて行ってくださるのである。

夜はくらし 道もわからぬその時に
 阿弥陀如来が手を引いて 本願力は大きいでなあ!

 阿弥陀如来はありがたい。
 私のような罪業深重の、空っぽの、いたづらものを、落としはせぬぞと、ようまあ飛びついて下された。
 親様なればこそ、本願力なればこそ。

稲垣瑞劔師「法雷」第63号(1982年3月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

今、阿弥陀如来は、南無阿弥陀佛となって我等の前に現れ、我等を後ろから「南無阿弥陀佛、落としはせぬぞ」と、しかと私を抱きかかえて、お浄土へ連れて行ってくださるのである。
とありますが

往生の三カ条
二、助けたもうは弥陀如来

光瑞寺 さんのコメント...

佛智と大悲とで力いっぱい、私に飛びついてくださいます。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...