2023年12月31日日曜日
2023年12月25日月曜日
自然(じねん)のことわり
「ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり」
2023年12月20日水曜日
一句にあり
「夫れ無碍難思の光耀は苦を滅し楽を証す」
一、絶対の勅命である。その中にすべてのはからいは消滅する。久遠劫来の自力の機執はここに根本より一掃せられる。
二、安心の要諦この中にあり。機受ことごとく法体にかえして法体円成の姿はこの一句である。法体円成を全顕して機受趣入を語るは真宗の生命である。
聞きえては 野中に立てる 竿なれや かげさわらぬを 他力とぞいふ
南無阿弥陀佛の独立は「白木の念佛」である。助をささぬのである。これを真実信心とする。
是れを千読万読して、久しく誦し来たり誦し去るとき、「至心信楽己れを忘れて無行不成の願海に帰す」る真意を味わうことができる。そのとき凡夫の自力心は毫末もその痕跡をとどめないのである。和讃に曰く、
「大願海のうちには 煩悩の波こそなかりけり
弘誓の船にのりぬれば 大悲の風にまかせたり」
「名号不思議の海水は 逆謗の屍骸もとどまらず
衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり」
五、この一句の精神は、凡夫有漏の行業をぬぐい去って、大慈悲・大智慧の円満なる相を全顕する。是れ即ち他力真宗の玄規である。
「無為の妙果」を得んとするならば、須く「無為の信心」によるべし。和讃に曰く、
「願力成就の報土には 自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり」
と。
八、『教行信証』の美玉六篇、鍾(あつま)まってこの一句にあり、凝ってこの一句にあり。無限の味わい、無限の法門この中より流れ生ずる。是れ即ち光寿二無量の覚体、六字尊号の生命、無量光明土の人格的躍動である。
九、この一句を趙洲の「無字の公案」(佛法の極意)と見て、二十年一日のごとく旦晨に是れを味わい、寤寐に感じて忘るることなくんば、廓然として大悟する処あろう。
「無碍」とは帰命尽十方無碍光如来の光明にあり、「難思」とは難度海を度する大船、難思の弘誓をあらわす。この一句は龍天二祖を高祖親鸞聖人の体現したまえる古今無比の絶妙至極の金文字であり、究竟一乗海をあらわしたものである。
稲垣瑞劔はこの一句を頂戴し、感佩し、銘記して一生用いて足りて、毫も不足あることなし。
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
稲垣瑞劔師「法雷」第80号(1983年8月発行)
2023年12月15日金曜日
功徳莫大なるゆえに
2023年12月10日日曜日
智慧のうしほに一味なり
「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
佛智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず」
「大願海のうちには 煩悩の波こそなかりけり
弘誓の船に乗りぬれば 大悲の風にまかせたり」
「尽十方無碍光の 大悲大願の海水に
煩悩の衆流帰しぬれば 智慧のうしほに一味なり」
2023年12月5日火曜日
罪に泣けるものでない
よびごえの うちに信心 落處あり
佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...
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「子どもが育つ魔法の言葉」 「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子は 力にたよることをおぼえる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子は 忍耐を 友情を知る子は 親切を 安心を経験した子は 信...