2025年1月25日土曜日
鳥部山 煙の末が 恐ろしや
2025年1月20日月曜日
和讃と歎異抄の味わい⑷
二、求めるものなし
「佛によりて求めず、法によりて求めず、僧によりて求めず。唯だ是の如し」
いのるとも しるしなきこそ しるしなれ いのるこころに まことなければ
2025年1月15日水曜日
和讃と歎異抄の味わい⑶
「よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは煩悩の所為なり。」
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。」
「其の名号を聞いて信心歓喜し、乃至一念せん」
「ただ本願力で助くるぞ」
「ただ往生極楽のためには南無阿弥陀佛と申せば」
「ただ念佛して」
2025年1月10日金曜日
和讃と歎異抄の味わい⑵
一、第一の関所
「親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」
「手作りのお念佛のだんごは嫌いじゃ、わしは食わぬ」
「それじゃというて何も手土産を持たずに参るというのは、何やら義理がすまぬような気がする。土産を持たしてくださったら、私も心に頼りができて、気が楽になるのに」
「往き易くして人なし」
「お浄土参りの土産までも、如来の方で、万善円備の嘉号は悪を転じて徳を成す正智と、ちゃんと作っておいたから、お前は空手で参ってこい、早く来い、待っておるぞよ」
2025年1月5日日曜日
和讃と歎異抄の味わい ⑴
序
2025年1月1日水曜日
念佛のうた㈠
私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。 念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...
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「子どもが育つ魔法の言葉」 「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子は 力にたよることをおぼえる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子は 忍耐を 友情を知る子は 親切を 安心を経験した子は 信...