稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「夢幻泡影」のお言葉にふれさせていただきました。夢幻とお聞きして思い浮かべたのは、教行信証行巻にある、「ああ、夢幻にして真にあらず。寿夭にして保ちがたし。呼吸のあひだにすなはちこれ来生なり。ひとたび人身を失ひつれば万劫にも復せず。このとき悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまはん。願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれと。」のお言葉でした。
心に沁みるお諭しです。夢でも幻でもない、衆生を真に利益せしめんとする如来大悲をお伝え下さっています。
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四、死と組み打ちして 「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。 ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...
2 件のコメント:
「夢幻泡影」のお言葉にふれさせていただきました。
夢幻とお聞きして思い浮かべたのは、教行信証行巻にある、
「ああ、夢幻にして真にあらず。寿夭にして保ちがたし。呼吸のあひだにすなはちこれ来生なり。ひとたび人身を失ひつれば万劫にも復せず。このとき悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまはん。願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれと。」
のお言葉でした。
心に沁みるお諭しです。
夢でも幻でもない、衆生を真に利益せしめんとする如来大悲をお伝え下さっています。
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