2020年8月18日火曜日

広く法蔵を開きて

 信巻に曰く
 「実語(じつご)甚だ微妙(みみょう)なり、善巧句義(ぜんぎょうくぎ)に於いて甚深秘密(じんじんひみつ)の蔵(ぞう)なり」
と。二乗に二乗の秘密あり、菩薩に菩薩の秘密あり、如来に如来の秘密がある。これすなわち佛智不思議、名願力の不思議である。

 凡夫は凡夫の浅智慧を以て佛智不思議の誓願を割り切って、信心取って、往生しようとしておる。割り切った世界は行き詰まった世界であることを知らない。

 「甚深秘密の蔵」とは、またこれ南無阿弥陀佛にて往生することである。甚深微妙、不可思議の願力のひとりばたらきの世界である。よそ見すること勿かれ。

稲垣瑞劔師「法雷」第15号(1978年3月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

無根の信がおこり、仏弟子となった阿闍世が、仏をほめたたえて言ったことですね。

光瑞寺 さんのコメント...

甚深微妙を甚深微妙のままに、不可思議を不可思議のまま仰ぐところに、阿闍世と等しく無根の信を得るのでしょう。

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...