稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「無義をもて義とし」とあります。『歎異抄』第十条に、「念仏には無義をもつて義とす。」とありますが、現代語訳は、「本願他力の念仏においては、自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします。」と教えていただいています。
祖師方はいつも、どんな時でも、南無阿弥陀佛の佛智に頭を垂れられ、本願力の前にすわっておられたのでしょう。その表のお姿の上では、私たちは遠く及びませんが、御安心においては同じ安らぎを恵まれるとは、いよいよ忝いことです。
コメントを投稿
今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...
2 件のコメント:
「無義をもて義とし」
とあります。
『歎異抄』第十条に、「念仏には無義をもつて義とす。」とありますが、
現代語訳は、「本願他力の念仏においては、自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします。」
と教えていただいています。
祖師方はいつも、どんな時でも、南無阿弥陀佛の佛智に頭を垂れられ、本願力の前にすわっておられたのでしょう。
その表のお姿の上では、私たちは遠く及びませんが、御安心においては同じ安らぎを恵まれるとは、いよいよ忝いことです。
コメントを投稿