「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛の家になげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、ついやさずして、生死をはなれて佛となる。」
「弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて往生をば遂ぐるなり」
「ただ念佛して弥陀に助けられまゐらする」
「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛の家になげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、ついやさずして、生死をはなれて佛となる。」
「弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて往生をば遂ぐるなり」
「ただ念佛して弥陀に助けられまゐらする」
「これをいといすてんとすれば、すなわち佛の御いのちをうしなわんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛の御いのちをうしなうなり。佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したうことなき、このとき、はじめて佛のこころに入る。
ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなかれ、ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛の家になげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをも、ついやさずして、生死をはなれて佛となる。たれの人かこころにとどこおるべき。
佛となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するここころなく、一切衆生のために、あわれみふかくして、かみをうやまい、しもをあわれみ、よろずをいとうこころなく、ねごうこころなく、心におもうことなくうれうることなき、これを佛となづく。またほかにたずぬることなかれ。」
「家舎(涅槃)を離れて途中(生死)に在らず、途中に在りて家舎を離れず」
「お前が地獄へ落ちるならば、自分も地獄へついてゆく」
「地によって倒れるものは、地によって起きる」
「生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらいにて、すでにさき(前)あり のち(後)あり。かるがゆえに佛法のなかには、生すなわち不生という。滅もひとときのくらいにて、またさきありのちあり。これによりて滅すなわち不滅という。かるがゆえに、生きたらばただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかいて、つかうべしということなかれ、ねがうことなかれ」
「生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり、たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり。」
「時時の時に尽有尽界あるなり」「生も全機、死も全機」
「生死すなわち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく、涅槃として欣ふべきもなし」
佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...